たるみ歯科クリニックの紹介

たるみ歯科クリニック・チームたるクリ!


宝塚・中山の歯科/小児歯科。大阪大学小児歯科とも連携。JR中山寺駅近、駐車場25台。
なるべく抜かない・削らない
治療を心がけ、予防を重視。
伊丹、川西、西宮からのアクセスも良好で、阪神タイガースの選手も多数来院されます!

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令和の初日に、昭和と平成の自分を振り返る
宝塚市 たるみ歯科クリニック 院長の樽味です。

2019年4月30日までが平成
そして今日、5月1日からは元号が変わり、令和になりました。

節目の1日に、心に定めたのが、
スタッフや患者さん、そして医院に関わる多くの方々から信頼され続けるよう、
令和では、より自分を律し、心技体を高めるということ。

そんな中で、自分自身の昭和と平成を振り返ってみました。

続きを読む、をクリックすると出てきます)



振り返ってみると、昭和の自分は何も考えず、運だけで生きていたように思います。
たまたま(=運)の連続です。

昭和40年に神戸市須磨区で生まれた僕は、実は2歳の時、家の近所で交通事故に遭ったようです。
(母親とともに長期入院していたようですが、その記憶は全くありません...)
運
母親はもっと酷かったのですが、僕自身は額から左瞼にかけて大きな傷が残ったものの、運よく視力や運動機能を含め、後遺症は何も出ませんでした。
しかし電車に乗ったり歩いてる時に、知らない人から、『ぼく、どうしたん、その傷?』と聞かれることが多く 、下ばっかり向いてる、引っ込み思案の子ども時代...

小学生の時に弟が生まれ、いつも一緒に遊んでいたように思います。
ほんとかわいい弟でした。
ただし、精神科医になった弟は、平成17年に急逝してしまうことに...
shin(2M以内にしてほしい)

話を自分に戻します。
中学そして高校でも軟式テニス部に入り、キャプテンを務め、試合でもそこそこ勝てるようになり、ようやく自分自身に自信が持てるようになりました。
しかし、過信というか、何も考えていないというか...

まったく勉強していないのに、愛読していたブラックジャック(手塚治虫先生:阪大医学部卒)の影響で、(高校2年の冬ぐらいまで)阪大医学部に行って医者になりたいと真剣に考えていました

部活を引退した高校3年時、冷静に周りを見てヤバイと感じ、勉強し始め、運よく岡大歯学部に入れました。
岡大進学後も(親には言えませんが)、運に身を任せるような(テキトーな)生き方でしたが、たまたま6年で卒業でき、国家試験も今ほど難しくなかったので通りました。

平成元年の岡大卒業後、縁あって同年、阪大歯学部(歯科保存学教室)の大学院に進むことができました。
そして14年間在籍した阪大歯学部を平成15年3月に退職した後、同年5月、たまたま業者さんから紹介された医療ビルで開業し、現在に至ります。
そのあたりのことを、先日、教室の同門会誌に書きました。


阪大歯学部での14年、そして、たるみ歯科開業後の16年、
平成の30年間は、運と縁・自分の勘と多少の厚かましさをもって生き抜いたと思います。

特に自分の中で誇れるのが、まったく面識のなかった住友化学・研究主幹の松尾先生に共同実験をお願いしに行き、その仕事がJDRという歯科ではレベルの高い雑誌に掲載されたこと。

そして開業時、(今は亡き)松尾先生が、奥様とともに医院に来てくれたことは本当にビックリし、めちゃくちゃ嬉しかったです

また昨年、チームとの経緯をスポーツ歯学の本に書きましたクリックすると出てきます) が、待合室に飾っているプロ野球チームとの関わりを約30年継続できているのも、自分の中では生き抜いた一例だと思っています。


令和という響きには、『ハーモニー:調和 』 というイメージが浮かびます。
新しい時代になってもスタッフと協調し、質の高い歯科診療を提供し続けれるよう、皆で頑張ろうと思います。

令和元年5月1日、
頭に浮かんだことを書きました

日々のつぶやき | 【2019-05-01(Wed) 17:07:52】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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