院長の樽味です。
次の文章は、この本のプロローグとして書かれているものです。

私の姉は、1967年の秋に大怪我をした。3歳の息子の手を引いて国道沿いの道を歩いていて事故にあった。当時、建設中であった山陽新幹線の神戸トンネル工事用の建材を山盛りにして走ってきたトラックの荷崩れにより、子供を庇いながら建材の下敷きになった。内臓損傷、全身の多発骨折、などなどで現場近くの救急病院に収容されたが、脈もなく助からないものと考えられていた。翌日の新聞のいくつかには「母親は死亡」と書かれていた。幸い、多くの人々のお力で一命を取り留めたが、長い闘病生活を余儀なくされた。左の大腿骨はばらばらになって複雑に湾曲しながら繋がった。そのせいで左大腿は湾曲して少し短くなっていた...(以下、略)。
母親が庇ってくれたおかげで、3歳の子供は助かりました。
ただし、左の瞼(まぶた)が削げ落ち、額から左耳まで顔には醜い傷が残りました。
しかしラッキーなことに、眼球には問題がなく、両目で物を見ることができました。
建材の直撃があと1cm、いや5mmでもずれていたら、間違いなく左目は失明していたでしょう。
この子供は20cm以上の顔の傷を気にして、ず〜っと引っ込み思案のネクラでした。
しかし、中学から始めたテニス等を通じて、少しずつ自信が持てるようになりました。
そして現在は、歯科医師として働いております。
今日、僕を庇ってくれた母親が治療に来ていたので、何となく書いてみました。
......そうです。
事故にあった3歳(実際は2歳半)の子供は、僕なんです......。
次の文章は、この本のプロローグとして書かれているものです。

私の姉は、1967年の秋に大怪我をした。3歳の息子の手を引いて国道沿いの道を歩いていて事故にあった。当時、建設中であった山陽新幹線の神戸トンネル工事用の建材を山盛りにして走ってきたトラックの荷崩れにより、子供を庇いながら建材の下敷きになった。内臓損傷、全身の多発骨折、などなどで現場近くの救急病院に収容されたが、脈もなく助からないものと考えられていた。翌日の新聞のいくつかには「母親は死亡」と書かれていた。幸い、多くの人々のお力で一命を取り留めたが、長い闘病生活を余儀なくされた。左の大腿骨はばらばらになって複雑に湾曲しながら繋がった。そのせいで左大腿は湾曲して少し短くなっていた...(以下、略)。
母親が庇ってくれたおかげで、3歳の子供は助かりました。
ただし、左の瞼(まぶた)が削げ落ち、額から左耳まで顔には醜い傷が残りました。
しかしラッキーなことに、眼球には問題がなく、両目で物を見ることができました。
建材の直撃があと1cm、いや5mmでもずれていたら、間違いなく左目は失明していたでしょう。
この子供は20cm以上の顔の傷を気にして、ず〜っと引っ込み思案のネクラでした。
しかし、中学から始めたテニス等を通じて、少しずつ自信が持てるようになりました。
そして現在は、歯科医師として働いております。
今日、僕を庇ってくれた母親が治療に来ていたので、何となく書いてみました。
......そうです。
事故にあった3歳(実際は2歳半)の子供は、僕なんです......。

